2015-09-24

絶望 Désespoir

絶望 Désespoir

絶望が欠けている。
絶望が作り出されなければならない
絶望を眼前にして悶えなければならない
絶望にそうして強いられるときにこそ初めて我々は幾ばくかの可能性を見出すだろう

絶望は我々一人ひとりが自分で作り出さなければならない。「社会」が作り出すものですらない。


「まだちょっと絶望が足りないんじゃないか」
「絶望が拡がって、若い人たちが何にも希望を持てなくなってしまった時に、初めて祈りはじめるんじゃないか」
作家・石牟礼道子


「まだ希望にしがみつこうとしている。(中略)他の人の惨状を見て、何かしなければいけないと思っていたのですが、それより大事なことがその「悶える」だとすれば、まずそれが足りない。堂々と悶えればいい」
 法政大学教授・田中優子



未来のあと 我々にもはや「未来」はない。 フランコ・ベラルディ(ビフォ)

フェリックス・グァタリが「全世界資本システム」と呼んだこのディストビアの壁を目前にして、あくまでもそこに踏みとどまり、そこからいかに脱走線を描出するかという一点に賭けられてきた。
資本主義によって社会全体に押し付けられたあの不断の拡張という展望が「未来」であったとすれば、
もはやいかなる未来もない。我々は未来のあとに何があるのかを想像しなければならない。
「未 来」はいまやたんなる幻想でしかなく、虚無に向かって息を切らして走るよう強いるものでしかないからだ。蓄財という強迫観念を捨てることによってのみ、 我々は人類発展の道を見出し、また、我々を魅了しながらも実現されることのけっしてない「未来」なる地獄から逃れることができるだろう。

科学とテクノロジーが万人の必要に応えた生産の可能性をもたらすのは、全面的な機械化と知識の共有とによって財と生産手段とが平等に分配される場合に限る。

吝嗇(りんしょく)・蓄財精神・経済力といったものはいまや人類の進歩に対する病となっている。この病を治癒するために必要なのは、かつて政治が占めていた地位を治療活動に与えるということだ。
治療や芸術には我々の未来予測を刷新する力があり、それゆえにまた、我々の振る舞い・欲求・可能性を刷新する力もある。

通 常、過去は不変だと考えられている。しかし実際には次のように言えるはずだ。すなわち、過去は、我々の記憶のうちにしか存在しない以上、我々の立ち位置が 変わったり、経験によって我々の記憶までもが変わったりすれば、やはり変化するのだと。反対に未来は避け得ない運命として到来する。未来に備えたり、それ を待ったり、恐れたり、望んだりすることはできる。しかし、無数の存在が望み行動したとしてもなお、到来する未来は避けられない。未来を変えることができ たとしても、それは限りなく小さな周縁的な細部においてのことに過ぎない。にもかかわらず、政治のレトリックは我々にこう告げるのだ、「自分の未来を選び とれ!」と。
未来は我々が自分で選び取ったり自分で決定したりするものではない。未来は待つものだ。ただし、この待機は受動的な状態、純粋な観想 ではない。待機とは、思考を、精神を、そして行動をも準備することだ。我々になし得るのは、未来を変えることではなく、待機のしかたを変えること、運命と して到来する時間をそれでもなお生きるべく新たな待機の方法を作り出すことなのだ。
未来とはただたんに明日以降の日々に我々を待ち構えている時間のことではない。未来とは待機・想像力・準備のことだ。未来とはそうした待機の投写であり、文化・思考・芸術・詩こそが新たな待機の方法を生み出すのだ。



絶望することからしか何も始まらないのではないか 「チッソは私であった」著者・緒方正人


水 俣の認定で、みんなが、金に目が向いていく。「あなたたち患者には損害賠償を要求する権利がある」と言われる。それは、人間であることを置き去りにして、 水俣病患者の認定を権力や加害者、毒を食わせた側に求めるわけで、それが貨幣価値をもってしまう。人間であることよりも、水俣病患者の認定という概念が上 位にきてしまう。だけど苦しんで亡くなった人たちの中に「俺が水俣病患者だ」と主張して死んだ人がどれだけいるんのか。「俺は人間だ」と叫んでみんな死ん でいったのではないかと強く疑問に思うようになって、水俣病闘争のスタイルだけでなく、制度社会というか、それまでの価値観を全部否定してしまった。

人間であることに目覚めた
その前は水俣病患者・被害者家族という、だれも批判しない地点に安住していた。そこからしか問うていなかった。外見上は権力と闘っているようにみえたけど、内実は自分自身と闘っていた。


チッソは私であった
悪徳企業として自分の外に見ているチッソではなくて、「内なるチッソ」。
も うひとつは、運動をやってきて、加害者と被害者が二項対立ではなくて、だれもが両方餅あわさざるを得ない。長い間問う側にいたのが、自らが問われているこ とに気がついた。自分の中で「どんでん返し」が起きた。しかもどんでん返しが起きると、チッソの人たちがとても愛おしくなる。



「脱成長」「想念の脱植民地化」 仏の経済哲学者セルジュ・ラトゥーシュ


「私が成長に反対するのは、いくら経済が成長しても人々を幸せにしないからだ。成長のための成長が目的化され、無駄な消費が強いられている。そのような成長は、それが続く限り、汚染やストレスを増やすだけだ」

「より本質的な解決策は、グローバル経済から離脱して地域社会の自立を導くことだ。『脱成長』は、成長への信仰にとらわれている社会を根本的に変えていくための、一つのスローガンだ」

「彼らは資本主義に成長を、緊縮財政で人々に節約を求めるが、本来それは逆であるべきだ。資本主義はもっと節約をすべきだし、人々はもっと豊かに生きられる。我々の目指すのは、つましい、しかし幸福な社会だ」

「地球が有限である以上、無限に成長を持続させることは生態学的に不可能だ」

「発展は不可能なのではなく、「望ましくない」のだ。開発は、たんに環境の危機を招くだけではなく人類学的な破局を招く、人間はそれではいきられない」

「Décoloniser l'imaginaire」 Serge Latouche
Promettre la richesse en produisant de la pauvreté est absurde. Le modèle occidental de développement est arrivé à un stade critique. Ses effets négatifs sur la plus grande partie de l’humanité et sur l’environnement sont évidents. Il est nécessaire de le freiner, de le ralentir, voire de l’arrêter avant que des luttes, des cataclysmes ou des guerres ne se déclenchent. Partout dans le monde apparaissent les îlots d’une nouvelle pensée créative qui aspire à une vie sociale et économique plus équilibrée et plus juste. Cette critique du développement bouscule nos certitudes et remet en question la pensée et la pratique économiques de l’Occident.

「Le Temps de la décroissance」Serge Latouche
La croissance économique est devenue insoutenable pour notre environnement. le temps de la décroissance n'est pas seulement celui de l'urgence écologique ; il doit être le moment de réhabiliter le temps pour diminuer le travail, inventer de nouveaux modes de vie et retrouver les joies de la sobriété.

開発の自文化中心主義に抗して
http://www.diplo.jp/articles04/0411-4.html

今週の本棚:中村達也・評 『<脱成長>は、世界を変えられるか?』=セルジュ・ラトゥーシュ著
http://mainichi.jp/feature/news/20130623ddm015070003000c.html

経済の成長は人を幸せにしない
http://www.asahi.com/culture/news_culture/TKY201007130317.html



民主主義と資本主義の結婚は終わった

http://beneverba.exblog.jp/15980772/ aliquis ex vobisブログから引用させていただきました。
※ブログ主さんは匿名で寄稿されています。

The Marriage Between Democracy and Capitalism is Over
2011年10月09日 - スラヴォイ・ジジェク
原文:
http://occupywallst.org/article/today-liberty-plaza-had-visit-slavoj-zizek/
http://www.imposemagazine.com/bytes/slavoj-zizek-at-occupy-wall-street-transcript
http://beneverba.exblog.jp/16220243/


私 たちは負け犬と呼ばれています。しかし、真の負け犬はあそこウォール街にいます。彼らは、数十億もの私たちのお金で、救済措置を受けたのです。私たちは 社会主義者と呼ばれています。しかし、ここには常に富裕層のための社会主義が存在しているのです。彼らは、私たちが私有財産を尊重していないと言います。 しかし、2008年の金融崩壊においては、ここにいる私たちが昼夜の境なく数週間の破壊活動に及ぶよりも多く、苦労の末に手に入れた私有財産が破壊された のです。

彼らは、私たちは夢を見ているのだと言います。真に夢を見ている人というのは、ものごとが永遠にそのままであり 続けることが可 能だと考えている人々のことです。私たちは夢を見る人ではありません。私たちは、悪夢へと変わろうとしている夢から、覚めつつあるのです。私たちは、何一 つ破壊していません。私たちはただ、どのように体制が自壊するのかを目撃しているのです。

私たちがみな知っているカートゥーンの古典的 な場面があります。断崖へ到達した猫が、下には何もないという事実を無視して、そのまま歩き続けます。下を見てそのことに気づいた時に、ようやく落下しま す。それが私たちがここでやっていることです。私たちは、ウォール街の面々にこう言っているのです。「おい、下を見ろ!」と。


2011 年の4月中旬、中国政府は、別の現実やタイム・トラベルを含む内容のTV、映画、小説を、全て禁止しました。これは中国にとって良い兆候です。つ まり、人々が未だオルタナティブを夢見るためには、そうした夢を見ることを禁止するべきだ、ということです。ここでは、そのような禁止はありません。なぜ なら、この支配体制は私たちの夢見る能力を抑圧すらしないからです。私たちがいつも観ている映画を思い浮かべてください。世界の終わりを想像することは容 易です。小惑星が地球に激突して全ての生命体が絶滅するとか、そういったたぐいのものです。しかし、資本主義の終焉を想像することはできません。

そ れでは私たちはここで何をしているのでしょうか?ここで一つ、素晴らしい、古い共産主義者の時代のジョークをお話しさせてください。ある男が、東ドイツ からシベリアへと、働くために送られました。彼は、自分の手紙が検閲官によって読まれるであろうことを知っていたので、自分の友達にこう言いました。「暗 号を決めておこう。もし、私から受け取った手紙が青いインクで書かれていたら、私の言っていることは本当だ。もし赤いインクで書かれていたら、嘘だ」。

一ヶ 月後、彼の友達は最初の手紙を受け取りました。全てが青いインクで書かれていました。その手紙にはこう書かれてました。「ここは全く素晴らしいところ だ。商店はおいしい食べ物であふれている。映画館では西側の楽しい映画が観られる。アパートは広々として豪華だ。ここで手に入らないものと言ったら、赤い インクだけだ」。

私たちはこのようなあり方で生きているのです。私たちには、私たちが望む全ての自由があります。私たちには、ただ赤い インクがないだけなのです。私たちの不自由を明確に表現するための言語が。私たちがそういう風に話すようにと教えられた自由についての話法――テロとの戦 いとかそういったことです――が、自由を偽ってしまうのです。そして、それがあなたたちがここでしていることなのです。あなたたちは、私たちみなに赤いイ ンクを授けているのです。


そこには危険もあります。自分自身と恋に落ちないようにしてください。私たち はここで素晴らしい時を 過ごしています。だが、覚えておいてください。カーニバルは安上がりなのです。重要なのはその翌日、私たちが日常の生活に戻らねばならなくなった時です。 そこに何らかの変化はあるでしょうか?私はあなたたちに、これらの日々を「ああ、私たちは若く、全ては素晴らしかった」とか、そういった想い出にしてほし くありません。

覚えておいてください。私たちの基本的なメッセージは、「私たちはオルタナティブについて考えることを許 されているの だ」ということです。タブーは破られました。私たちは最善の可能世界に住んでいるわけではないのです。しかし、この先に長い道のりがあります。そこには私 たちに立ちはだかる真に困難な問いがあります。私たちは、私たちが何を望んでいないかを知っている。だが、私たちは一体何を望んでいるのでしょう?どのよ うな社会組織が資本主義の代わりになるのでしょう?私たちはどのようなタイプの新しいリーダーを望んでいるのでしょう?

覚 えておいてく ださい。問題は腐敗でも貪欲でもありません。腐敗へと駆り立てる体制が問題なのです。敵だけに注意するのでなく、既にこの抗議運動を薄めようとしている偽 の友にも注意してください。あなたが、カフェイン抜きのコーヒーを、アルコール抜きのビールを、脂肪抜きのアイスクリームを受け取るのと同様なやり方で、 彼らはこれを無害で道徳的な抗議運動に変えようとするでしょう。カフェイン抜きにされた抗議運動(A decaffienated protest)です。

私たちがここにいる理由は、私たちがこの世界にうんざりしているからなのです。数ドルをチャリティに寄 付することで、コーラの缶をリサイクルすることで、もしくは、スターバックスのカプチーノを買うと、その1%が飢えに苦しむ第三世界の子どもたちのところ に行くことで、私たちをいい気分にして、それで良しとしている世界に。労働と拷問を外注にしたその後で、結婚仲介業者が今や私たちの性生活ですら日常的に 外注にしているその後で、私たちの政治的参加もまた長い間外注されるに任せていたことを、私たちは理解しています。私たちはそれを取り戻したいのです。

も し共産主義が1990年に崩壊した体制を意味するのならば、私たちは共産主義者ではありません。今日では、それらの共産主義者たちが最も能率的で冷酷無 比な資本主義者であることを、思い出してください。今日の中国では、アメリカの資本主義以上にダイナミックな資本主義が存在しますが、それは民主主義を意 味しません。それが意味することは、あなたが資本主義を批判しようとする際に、まるであなたが民主主義に反対しているかのように、脅されるような真似を許 してはならないということです。民主主義と資本主義の結婚は終わったのです。


変革は可能です。ところ で、今日私たちは何を可能 だと見なしているのでしょう?メディアを追いかけてみましょう。一方では、テクノロジーとセクシャリティーにおいて、全てが可能であるかのように見えま す。月まで旅行に出かけることも可能です。遺伝子工学で不死になることも可能です。動物であれ何であれとセックスすることも可能です。しかし、社会と経済 の領域を見渡してください。そこでは、ほとんど全てのことが、不可能だと見なされているのです。

あなたが富裕層の税率をちょっとばかり 引き上げたいと言えば、「それは不可能だ、競争力を失う」と彼らは言うのです。あなたがもっとヘルスケアにお金がほしいと言えば、「それは不可能だ、全体 主義国家のやることだ」と彼らは言うのです。不死になることを約束されているのに、ヘルスケアに費やすお金をほんの少し上げることもできない世界は、どこ かが間違っているのです。

おそらく私たちの優先事項を、ここできちんと設定することが必要なのでしょう。私たちはより高 い生活水準など 望んでいないのです。私たちはより良い生活水準を望んでいるのです。たった一つの意味において、私たちがコミュニストであるのは、私たちはコモンズを望ん でいるのだ、ということです。自然のコモンズ。知的所有権によって私物化されたもののコモンズ。遺伝子工学のコモンズ。このために、このためだけに私たち は闘うべきなのです。


共産主義は間違いなく失敗しました。しかし、コモンズの問題がまだここにありま す。彼らは私たちはアメリ カ人ではないのだと、言っています。しかし、自分たちこそが本当のアメリカ人だと主張する保守派の原理主義者たちは、何かによって気づかされなければなり ません。キリスト教とは何でしょうか?それは聖霊です。聖霊とは何でしょうか?お互いへの愛で結びついた、信じる者たちによって構成される平等主義の共同 体です。そして、自らの自由と責任を所有する者だけが、それをなすことができるのです。

この意味において、聖霊は今ここ に存在します。 そして、あそこウォール街には、涜神的な偶像を崇拝する異教徒たちがいるのです。だから、私たちに必要なのは忍耐だけです。私が恐れているたった一つのこ とは、私たちがいつの日か家に帰り、一年に一回会うようになり、ビールを飲みながら、ノスタルジックに「なんて素晴らしい時をあそこで過ごしたのだろう」 などと想い出に耽るというものです。そういうことにならないように自らに誓いましょう。

私たちは、人々がしばしば何かを欲するのに、本当にはそれを望もうとしないことを知っています。どうか、あなたが欲するものを望むことをおそれないでください。どうもありがとうございました。




En avril 2011, le gouvernement chinois a interdit à la télévision, au cinéma, et dans les romans, toute histoire contenant une réalité alternative ou un voyage dans le temps. C’est un bon signe pour la Chine. Cela signifie que les gens rêvent toujours à des alternatives, aussi faut-il interdire ce rêve. Ici nous ne pensons pas à l’interdiction, parce que le système du pouvoir a supprimé jusqu’à notre aptitude à rêver. À regarder les films que nous voyons tout le temps, il est aisé d’imaginer la fin du monde, un astéroïde qui détruit toute vie sur terre, etc. Mais vous ne pouvez pas imaginer la fin du capitalisme. Donc que faisons-nous ici ? Laissez-moi vous raconter une vieille blague des temps communistes.

Un gars d’Allemagne de l’Est avait été envoyé pour travailler en Sibérie. Il savait que son courrier serait lu par les censeurs. Alors il avait dit à ses amis : établissons un code ; si la lettre que vous recevez de moi est écrite à l’encre bleue, ce que je dis est vrai ; si elle est écrite à l’encre rouge, c’est faux. Après un mois ses amis ont une première lettre. Tout est en bleu. Cette lettre dit : tout est merveilleux ici ; les magasins sont pleins de bonne nourriture ; les cinémas montrent de bons films occidentaux ; les appartements sont grands et luxueux ; la seule chose que vous ne pouvez pas acheter c’est l’encre rouge.

Voilà comment nous vivons. Nous avons toutes les libertés que nous voulons. Mais ce qui nous manque, c’est l’encre rouge, la langue pour articuler notre non-liberté. La façon dont on nous apprend à parler de liberté et de la guerre contre le terrorisme et ainsi de suite falsifie la liberté. Et c’est ce que vous faites ici : vous nous donnez à tous de l’encre rouge.

Il y a un danger. Ne tombez pas amoureux de vous-mêmes. Nous passons un bon moment ici, mais n’oubliez pas : les carnavals surviennent à bon compte, ce qui importe c’est le jour d’après ; lorsque nous devrons revenir à une vie normale. Y aura-t-il des changements alors ? Je ne veux pas vous mettre en mémoire ces jours, vous savez, du genre : « Oh, nous étions jeunes, c’était magnifique. » Rappelez-vous que notre message de base est : nous sommes autorisés à réfléchir à des alternatives. La règle n’est pas respectée et nous ne vivons pas dans le meilleur des mondes possibles, seulement il y aura un long chemin à parcourir. Il y a des questions vraiment difficiles qui nous attendent. Nous savons ce que nous ne voulons pas. Mais que voulons-nous ? Quelle organisation sociale peut remplacer le capitalisme ? Quel type de nouveaux dirigeants désirons-nous ?

Rappelez-vous : le problème ce n’est pas la corruption ni la cupidité. Le problème c’est le système qui vous pousse à renoncer. Ne vous méfiez pas seulement des ennemis, mais aussi des faux amis qui travaillent déjà pour diluer ce processus. De la même manière que vous obtenez du café sans caféine, de la bière sans alcool, de la crème glacée sans matière grasse, ils vont essayer d’obtenir une protestation morale inoffensive. Ils pensent ... [ L’insert raccord selon la retranscription de Impose Magazine : (...) une protestation morale inoffensive. Un processus décaféiné. Mais la raison pour laquelle nous sommes ici est que nous en avons assez d’un monde où recycler les cannettes de coke, où faire la charité à deux dollars, ou encore acheter un cappuccino chez Starbucks dont le 1% qui va aux enfants dénutris du tiers monde suffit à nous faire ressentir bons. Après l’externalisation du travail et de la torture, après que les agences de mariage sous-traitent maintenant notre vie amoureuse, nous pouvons voir que pendant un bon moment nous avons également autorisé l’externalisation de notre engagement politique. Nous voulons revenir. ] Mais la raison pour laquelle nous sommes ici est que nous en avons assez du monde où recycler les cannettes de coke [ ... ]

[ ... ] Starbucks cappuccino [5]. Où le 1% va chez les enfants dénutris du monde. C’est assez pour nous ressentir bons, après l’externalisation du travail et de la torture. Après que les agences matrimoniales maintenant sous-traitent jusqu’à notre vie amoureuse, quotidienne.
Nous pouvons constater que pendant longtemps nous avons également laissé notre engagement politique externalisé. Nous voulons revenir. Nous ne sommes pas communistes. Si le communisme signifie le système qui s’est effondré en 1990, rappelons-nous qu’aujourd’hui ces communistes sont les plus efficaces des capitalistes impitoyables. En Chine, aujourd’hui, il y a un capitalisme encore plus dynamique que le capitalisme américain, sauf qu’il n’a pas besoin de démocratie. Ce qui signifie, quand vous critiquez le capitalisme : ne cédez pas de vous-mêmes au chantage d’être contre la démocratie. Le mariage entre la démocratie et le capitalisme est terminé.

Le changement est possible. Alors, que considérons-nous possible aujourd’hui ? Il suffit de suivre les médias. D’une part en matière de technologie et de sexualité tout semble possible. Vous pouvez aller sur la lune. Vous pouvez devenir immortel en biogénétique. Vous pouvez avoir des rapports sexuels avec des animaux ou n’importe quoi. Mais regardez les domaines de la société et l’économie : presque tout est considéré comme impossible. Vous voulez augmenter les impôts un peu pour les riches, ils vous disent que c’est impossible, nous perdrions la compétitivité. Vous voulez plus d’argent pour les soins de santé, ils vous disent : impossible, cela signifierait un État totalitaire. Il y a quelque chose qui ne va pas dans un monde où vous êtes promis immortel mais ne pouvez pas dépenser un peu plus pour les soins de santé. Peut-être est-ce cela ? Définir nos priorités directement ici : nous ne voulons pas du niveau de vie, nous voulons de meilleures conditions de vie. Le seul sens dans lequel nous sommes communistes, c’est que nous avons de l’attention pour ce qui nous est communal. Les communes de la nature. Les communes de ce qui est privatisé par la propriété intellectuelle. Les communes de la biogénétique. Pour cela, et seulement pour cela, il faut se battre.

Le communisme a totalement échoué. Mais maintenant les problèmes communaux arrivent. Ils vous disent là que nous ne sommes pas des Américains ; seulement les fondamentalistes conservateurs qui prétendent être vraiment américains doivent se rappeler quelque chose. Qu’est-ce que le christianisme ? C’est l’Esprit Saint. Qu’est-ce que le Saint-Esprit ? C’est la communauté égalitaire des croyants qui sont liés par l’amour pour l’autre, et qui ne possèdent que leur propre liberté et responsabilité de le réaliser. En ce sens, le Saint-Esprit est ici maintenant. Et là-bas à Wall Street il y a des païens qui adorent des idoles blasphématoires. Ainsi, tout ce dont nous avons besoin est de la patience. La seule chose que je crains, c’est qu’un jour nous soyons tout simplement de retour à la maison et qu’ensuite nous allions nous rencontrer une fois par an, boire de la bière, en nous souvenant avec nostalgie du bon temps que nous avions eu ici. Promettons-nous que ce ne sera pas le cas.

Nous savons que souvent les gens désirent quelque chose, mais qu’ils ne le veulent pas vraiment. N’ayez pas peur de ce que vous désirez vraiment. Merci beaucoup !






2015-02-17

ハワード・ジン「歴史の効用とテロリズムに対する戦争」を語る

ハワード・ジン「歴史の効用とテロリズムに対する戦争」を語る

Democracy Now!
2006年11月24日金曜日放送分記事翻訳
ハワード・ジン「歴史の効用と対テロ戦争」を語る(政府は嘘をつくものです。)
ハワード・ジンは我が国において最も著名な歴史学者の一人だ。彼の古典的作品「民衆のアメリカ史」は、我々のアメリカ史に対する考え方を変えた。 25年前に最初に刊行された本は百万部以上売れ、毎年販売部数が伸びるという出版界の事件になっている。[以下に文字おこし原稿あり]
第二次世界大戦で、爆撃手として軍務についた後、ハワード・ジンは生涯にわたる反体制派の平和活動家となった。過去40年間にわたって、彼は公民権運動や社会的公正の為の多くの闘争で活動している。
歴史的に黒人女性の大学であるスペルマン・カレッジで教えていたが、学生達の為に立ち上がった業務命令違反のかどで解雇された。最近彼は、卒業式の演説をするため、同大学から招かれた。
ハワード・ジンは沢山の本を書いており、ボストン大学名誉教授である。彼は最近ウイスコンシンのマディソンで講演し、Lifetime Contribution to Critical Scholarshipに対するヘブン・センター賞を受賞した。彼の講義「歴史の効用とテロリズムに対する戦争」をお送りする。
ハワード・ジン:
マディソンはとても特別な場所です。ここにやってくる度に特別な感情を抱きます。私は違う国にいるように感じています。それで今は嬉しく思っています。アメリカの政治に愛想をつかして、どこかよその国に移住する人もいます。いいえ。マディソンに来てください。
そこで、私はまずお礼を申し上げることになっています。皆さんがどなたであれ、おいで頂いて嬉しく思います。
照明が私を目覚めさせようとまぶしく照らしています。
さて、皆さんは何か占領された国に暮らしているように感じられませんか?朝目が覚めた時に、そういう感じがすることが良くあります。「占領された国 に暮らしているのだ。エイリアンたちの小さな集団がこの国を乗っ取って、自分たちのしたい放題のことをしようとしており、実際そうしているのだ。」と私は 考えるのです。つまり彼らは私にとってはエイリアンなのです。メキシコの国境を越えてやってくる人々は私にとってエイリアンではありません。そうです。ア メリカで暮らすためにやってきたイスラム教徒は、私にとってエイリアンではありません。つい最近の移民の権利を訴える素晴らしいデモで、例えば「いかなる 人間も、エイリアン(外国人)ではない。」というプラカードをご覧になったでしょう。私はこれは本当だと思います。ワシントンの連中を除いてですが。
彼らがこの国を乗っ取ったのです。彼らが政策を乗っ取ったのです。彼らは我々を二つの悲惨な戦争に引きずり込んだのです。我が国にとって悲惨であ り、中東の人々にとってはさらに悲惨です。そして、連中はこの国の富を吸い上げ、それを金持ちに与えています。多国籍企業に与えています。ハリバートンに 与え、武器メーカーに与えています。彼らは環境を破壊しています。しかも連中は10,000発の核兵器を握って離しません。それなのに、イランが十年する と核兵器を一つ持つようになるかも知れないという事実を、我々に心配させたいわけです。全く、どこまでおかしくなっているのでしょう?
そこで問題は、一体どうしてこういうことが起きるような羽目になったのでしょう?連中はどうやって好き勝手ができたのでしょう?連中は国民の意志に 従ってはいません。つまり、彼らは、戦争を始めた直後の極めて短い時間の間に国民の意思を創り出したのです。政府なら武力紛争が始まった直後にそれができ るのですが、戦争ヒステリーの雰囲気を創り出せるようにしたのです。そこでしばらくの間は、アメリカ国民の心を掴んでいたのです。それはもはや真実ではあ りません。アメリカ国民は何が起きているのか理解し始め、ワシントンの政策に反対するようになりましたが、もちろん連中は依然としてあそこにいます。連中 は依然として権力を握っています。疑問は、ですから、連中がいかにしてまんまとこれをやってのけられたのかということです。
それで、疑問に答えようと、ナチス・ドイツの歴史をちょっと調べてみました。いえ我々がナチス・ドイツというわけではありませんが、誰からでも、人 の歴史からも教訓は得られます。この場合、私はヘルマン・ゲーリングの思想に興味があったのです。ご存じかもしれませんが、ヒットラーの副司令官で、ドイ ツ空軍のトップでした。第二次世界大戦が終わった時に、ナチス指導者がニュルンベルクで裁判にかけられた際に、ヘルマン・ゲーリングもナチス政権の他の指 導者達と一緒に刑務所に入れられました。そしてニュルンベルク裁判の被告に面接する仕事を与えられた心理学者が彼を訪問したのです。
それでこの心理学者は記録をとり、実際、戦争から数年後に「ニュルンベルク日記」という本を書きました。自分が書いたことを本に書いています。ヘル マン・ゲーリングとの会話を記録したのです。彼はゲーリングに、ヒットラー、ナチスがドイツ人を一体どうやってあのように馬鹿げた戦争と侵略の破滅的な政 策を支持するようにできたのか尋ねたのです?で、手元にそのノートがたまたまあるのですが。我々はいつも言うのですね。「たまたま、これが手元にありまし て。」
ゲーリングは言っています。「もちろん国民は戦争を望んではいない。なぜ畑にいる貧しいまぬけが、自分の命を戦争にさらそうなどと望むだろう?だ が、結局、政策を決定するのは国家指導者だ。国民はいつでも指導者達の命令に従わせることができる。連中に、我々は攻撃されているのだと言って、平和主義 者は愛国心に欠けると非難するだけで良いのだ。これはどこの国でも同様に機能する。」
私には最後の行が興味深いものでした。「これはどこの国でも同様に機能する。」つまり、ここで、彼らはナチスです。あれはファシスト体制です。アメ リカはデモクラシーです。けれども、自分の国を何制度と呼ぼうと、これはどこの国でも同様に機能するのです。自分の国を全体主義国家と呼ぼうと、あるいは 自国をデモクラシーと呼ぼうと、同じように機能するのです。つまり、国家指導者達は国民を、丸め込んだり、無理強いしたり、唆したりして戦争をさせること ができるのです。国民を脅かし、国民が危険な状態にあると言い、もしも支持しなければ、非愛国的と見なされるぞと国民を脅迫し、無理強いして。そして、こ れが9/11直後にこの国で本当に起きたことなのです。これがブッシュがイラクの大量破壊兵器という妖怪をよみがえらせた直後に起きて、しばらくの間アメ リカ国民がこれを支持するようにさせたわけです。
けれども問題は、どうやって連中がまんまとそれをやりおおせたかです?新聞はどうでしょう?テレビはどうでしょう?政府がしていることを暴くのは新 聞の仕事ではありませんか?テレビの仕事ではありませんか?ジャーナリズムの仕事ではありませんか?ジャーナリスト達はI・F・ストーンからは学ばないの でしょうか?「ひとつだけ覚えておくように」と彼はジャーナリズムを勉強している若者に言いました。「ひとつだけ覚えておくように。政府は嘘をつくものです。」 ところがマスコミはそれには注意を払わなかったのでしょう。マスコミは支持したのです。彼らは大量破壊兵器というアイデアを喜んで受け入れたのです。覚え ておいででしょう。コーリン・パウエルがイラク戦争開始の直前に国連に登場し、彼によればイラクが所有するのだといううんざりするほど大量の武器を国連で 説明し、大変な詳細まであげたのです。この弾筒がいくつあるか、これが何トンあるか、云々と。そして翌日、新聞報道は称賛で輝いていました。彼らは、質問 してみるという、自分たちの仕事をしなかったのです。彼らは尋ねるという自分たちの仕事をしなかったのです。「どこに?あなたの証拠は何ですか?どこからそうした諜報情報を入手したのですか?誰と話をしましたか?あなたの情報源は何ですか?」 大学の新入生として皆さんは学ばれたのではありませんか?「おい、君の典拠は何だ?脚注はどこにある?」そうではないのです。マスコミはただ、ワシ ントン・ポストはこう書いたのです。「イラクが大量破壊兵器を所有していることを疑うことができる人がいるたろうと想像するのは困難だ。」そしてニュー ヨーク・タイムズは、ご存じのように、ひたすら我を忘れてコーリン・パウエルを称賛したのです。もちろん、これはみな本当でないことがわかりました。全て 嘘だったことがわかりました。しかし報道機関はその職務を果たさなかったのです。その結果、テレビを見ているアメリカ人、新聞を読んでいるアメリカ人に は、代替の情報源は無く、代替の意見はなく、何がおきてるかについて代替の批判的分析はありませんでした。
そこで質問です。新聞で読んだものをなぜいまだに国民は信じているのでしょう、テレビで見たものをなぜ国民は信じるのでしょう?そこで私は、それは 歴史の喪失とどこか関係があると主張したいのです、そう、スタッズ・ターケルが「国家的健忘症」と名付けた歴史を忘れているのか、それともまずい歴史を学 ばなかったのか、皆さんが教わっている類の歴史の勉強のせいです。コロンブスは英雄だった。テディー・ルーズベルトは英雄だ。アンドリュー・ジャクソンは 英雄だ。大統領や将軍や実業家だったあらゆる人々。彼らは偉大だ。彼らはアメリカを偉大にした人々だ。そしてアメリカは世界において常に良いことを行って きた。そしてアメリカにも、もちろんちょっとした問題はあった。例えば、奴隷制度のようなものが。しかしアメリカはそれを克服した、等々。いいえ、そうい う類の歴史ではありません。
アメリカ国民がもし本当に歴史を知れば、アメリカ国民がもし歴史を学べば、もし教育機関がその職務を遂行していれば、もしもマスコミが国民に歴史的 大局観を提供するという自分たちの職務を果たせば、そうすれば国民は理解するでしょう。大統領がマイクの前に立って、あれやこれやの理由、自由の為にある いはデモクラシーの為に、あるいは我々が危機にあるので等々の理由から、我々は戦争を始めなければならないと言った時に、もしも国民が多少の歴史知識を 持っていれば、大統領達が一体何度国民に、あれやこれやの理由で我々は戦争を始めなければならないと宣言したか知っていたはずです。人々はポルク大統領か こう言ったことを知っていたはずです。「我々はメキシコに対する戦争を進めなければならない。なぜなら、国境でおきた事件があったためで、我々の名誉が戦 うことを要求しているのだ。」
もしも多少の歴史を知っていれば、マッキンリー大統領がどうやって国民をスペインとキューバに対する戦争に引きずり込んだかを知っていたはずです。 「我々はキューバ人をスペインの支配から解放するのだ。」と言いながら。そして実際そこにはごくわずかの真実はありました。アメリカは戦争を始め、スペイ ンに対して戦い、我々はスペインをキューバから追い出しました。我々は彼らをスペインからは解放しましたが、我々から解放してはいないのです。そこで、ス ペインが追い出されて、ユナイテッド・フルーツが入り込み、やがてはアメリカの銀行や、アメリカ企業は入りました。
それで、もしも人々が自分たちの歴史を知れば、思い出せたはずだと思います。アメリカ陸軍が既にフィリピンにおり、そしてアメリカ海軍が既にフィリ ピンにいる時にマッキンリー大統領が何と言ったか、そして偉大なヒーロー大統領の一人セオドア・ルーズベルトが、戦争をしたくてたまらずにいたことを。 マッキンリーがどこにフィリピンがあるのか知らなかったことを知っていたでしょう。ただ今では大統領達は頻繁に事前に要点を教えて貰って、どこに何がある か教えてもらっています。ジョージ・ブッシュは「ここがイラクだ。」と言いました。リンドン・ジョンソンは「ここがトンキン湾だ。」と言いました。連中は 事前の教育が必要なのです。

皆は分かっていたはずなのです。大統領が、もしも皆が歴史を知っていれば、マッキンリー大統領が「我々はフィリピンに入って、フィリピン人を文明化 し、キリスト教化する。」と言ったことを。そしてもしも彼らが自国の歴史を知っていれば、もしも歴史本が、大半のページをわずか三ヶ月しか続かなかった米 西戦争にさくかわりに、歴史の本が二十世紀初期フィリピンにおける戦争について多少ページをさいていれば。何と七年も続いた血まみれの戦争で、住民の虐殺 や、皆殺しを行ったフィリピン戦争については、事実上ほとんどページをさいていません。そういう歴史は本に載らないのです。アメリカはフィリピン人を文明 化しキリスト教化して、我々の支配を確立したのです。
皆分かっていたはずです。大統領が「私たちは中東にデモクラシーをもたらすつもりだ」と言うのを聞けば、一体何度アメリカが侵略した他国にデモクラ シーを押しつけたか分かるはずなのです。皆、チリにデモクラシーをもたらしたかどうか分かっていたでしょう。チリで民主的に選出された政府を、アメリカは 1973年に転覆させたのです。アメリカがまたもや民主的に選出された政府を転覆した時に、アメリカがどのようにしてグアテマラにデモクラシーをもたらし たかを皆が知っていたはずなのです。そう、アメリカは民主的選挙が好きで、アメリカは自由選挙が好きです。ただそれはよその政府がおかしな方向に行かない 時に限ります。おかしな方向にゆくと、アメリカは陸軍かCIAか秘密工作員を送り込んでその政府を転覆するのです。
もしも国民がそうい歴史を知っていたら、瞬間たりともブッシュ大統領を決して信じたりはしなかったでしょう。彼が、あれこれの理由と自由とデモクラ シーの為に、そしてイラクは脅威なのだから、我々はイラクを攻める、と言ったときに。当局が皆に言う物事に対して懐疑的になるには多少の歴史的な理解が必 要なのです。
皆さんが歴史を知れば、I・F・ストーンが言ったように政府は嘘をつくものだということが分かります。ストーンは言いました。政府は常に嘘をつくも のなのです。もちろん、アメリカ政府だけではありません。それが政府というものの本性なのです。そう、連中は嘘をつかざるをえないのです。概して、政府と いうものは自分たちが支配する社会の人々を代表してはいないのです。政府は人々を代表してはおらず、また、政府は人々の利害に反して行動するので、権力を 握り続けるための唯一の方法は、人々に嘘をつくということなのです。もしも政府が国民に真実を告げれば、政府は長くは続きません。ですから歴史は、偽りを 理解し、政府が何を言おうと、それを慌てて信じ込むのではなく、懐疑的になることの手助けになります。

もしも多少の歴史を知っていれば、恐らくはもっとより基本的なことを理解できるはずなのです。この戦争に嘘をついたり、この侵略に嘘をついたり、あ の干渉に嘘をついたりという問題よりも、もっと基本的なこと、もしもみんなが多少の歴史を知っていれば。ある種社会の基本的事実、我が国の社会を含め、政 府の利害と国民の利害は同じではないことを理解できるはずなのです。
これを知っておくことはきわめて重要です。我々全員が共通の利害を持っていると政府は必死で説得しようとするからです。もしも政府が「国益」という 言葉を使う場合には、国益などありません。あるのは、彼らの利害と我々の利害です。国家の治安とは誰の治安でしょう?国防とは、一体誰の防衛でしょう?こ うした言葉や文句は全て私たちを「素晴らしい大きなきずな」に囲い込もうとして使われているのです。わが国の指導者の人々は我々の利害を心に留めておいて くれると思いこむように。これを理解することはとても重要です。とんでもない、連中は我々の利害など気にかけてはいません。
イラクに出征する若者が話すのを聞く機会がおありでしょう。若者がベトナムに出征する時に同じことを聞いたのを思い出します。記者が若者の所にいっ て言うのです。「ねえ、あなた、あなたは出征してゆきますが、それをどう考えていて、なぜそうするのです?」すると若者は答えます。「お国のために行くの です。」違います。彼は彼の国の為に行くのではありません。そして彼女は彼女の国の為に行くのではありません。戦争に赴く人々は彼らの国の為に戦っている のではありません。ちがうのです。彼らは自分たちの国に対して何も良い行いをしてはいません。彼らは自分たちの家族に対して何も良い行いをしてはいませ ん。彼らは現地の人々に対しても何も良い行いはしていません。ともかく彼らは、彼らの国のためにそうしているのではありません。彼らは、それを彼らの政府 のためにしているのです。彼らはそれをブッシュのためにしているのです。こういう言い方の方がより正確でしょう。「私はジョージ・ブッシュの為に戦うべ く、出征するのです。私はチェニーの為に戦うべく、出征するのです。私はラムズフェルドの為に戦うべく、出征するのです。私はハリバートンの為に戦うべ く、出征するのです。」そうなのです。こういう言い方の方が真実を語っています。
ですから、実際、この国の歴史を知るには、アメリカ国内では、最初から、権力を握っている人々と普通の人々の間に利害の衝突があったことを知るべき なのです。私たちは、イギリスに対してアメリカ革命を戦った一つの幸せな大家族だったのではありません。思い出します。学校では、彼らは愛国者で、バ レー・フォージやバンカー・ヒル、その他で我々全員がともに働き、英国兵士やイギリス人に対して戦った、等々というように思われたのです。決してそんなこ とはなかったのです。統一された国ではなかったのです。

ワシントンは将軍達を南部に送らざるを得ませんでした。若者に対して武力を行使して軍務につかせたのです。独立軍の兵士はワシントンに対して反乱し たのです。将校に対して。陸軍には階級紛争があったからです。独立戦争以前の植民地の至る所で階級紛争があったのと同じように。そう、軍隊を知っている人 なら誰でも、軍隊にいったことがある人ならだれでも、軍隊というのは階級社会であることを知っています。兵卒がいて、将校がいます。そして独立戦争では、 兵卒は靴を貰えず、衣服も貰えず、食料も貰えず、給料も貰っていなかったのです。一方将校は華麗な生活をしていたのです。それで、彼らは反乱したのです。 何千人もです。
そういうことを学校の歴史で学んだという記憶はありません。なぜなら神話があるからです。いわく、アメリカは、一つの幸福な大家族だ。黒人奴隷も含 めてでしょうか?私たちが彼らから、一マイル、一マイルと、じわじわ土地を奪い取った先住アメリカ人を含めてでしょうか?私たちは一つの幸福な大家族で しょうか?そうしたこと全てから取り残されていた女性達は。そうではありません。基本的な事実を理解することは非常に重要です。国を運営する人々と私たち とでは、我々の利害は同じではありません。
ですから、歴史は理解に有効なのです。他の国民と同じ国民だということを理解するのに。幼い頃からずっと教え込まれているような、アメリカは世界で 最も優れている、アメリカはナンバー・ワンだ、アメリカは最高だ、というわけではないことを理解するのに。これは、社会科学におけるアメリカ例外主義と呼 ばれるものです。アメリカ合衆国は、国家というものの法則の例外だ。つまり、国家というものの一般法則は、国家はかなり悪辣なものだというのです。だがア メリカ合衆国、我が国は正しい。アメリカは世界の中で善を行っていると。
そう遠くない昔、私はラジオ番組に出ました。インタビューされたのです。普通の商業放送局でした。普通の商業放送局にでてインタビューされるのは好 きです。局の連中は、誰を呼んでいるのか良く知らないからです。そこで彼が言ったのです。「ジン教授、アメリカは、概して、世界の中で、世のため人のため になる力だったと思われませんか?」「いや、いや、いや。」なぜこう尋ねないのでしょう。「大英帝国はアフリカでは世のため人のためになる力だったと思い ますか。ベルギー人はコンゴで世のため人のためになる力でしたか。あるいはフランスはインドシナで世のため人のためになる力でしたか?海兵隊を中米に何度 も何度も派遣した時に、アメリカ合衆国は、世のため人のためになる力だったと思われますか」そうではありません。

けれども、アメリカにはご存じの別の認識があるのです。アメリカは違うというのが。我が国は偉大だ、と。まあ、アメリカには確かに偉大な点があるで しょうが、それはアメリカが他国にしたことではありません。アメリカが黒人にしたことではありません。アメリカが先住アメリカ人にしたことではありませ ん。彼らが組合を組織し、反抗して立ち上がるまで12時間労働に苦しんだこの国の労働者にアメリカがしたことではありません。そうではないのです。我々は 自分に正直でなければなりません。
これは実行するのはとても難しいことです。自分自身に対して正直になることは。皆「私は忠誠を誓います」等というよう育てられているのです。「全員 のための自由と公正」「アメリカに神の恩寵がありますように」なぜ我々なのでしょう?なぜ神はアメリカに恩寵を与えるのでしょう?なぜ神はアメリカだけを 恩寵を与えようと選び出すのでしょう?ねえ。なぜ「皆に神の恩寵がありますように」ではないのでしょう?もしも実際、私たちが育てられていれば、もしも 我々がアメリカの歴史を理解するように育てられていれば、アメリカも他の国民と同じだ、ただしアメリカはより大きく、より多くの銃砲と爆弾があるので、 もっと暴力が行えるのだということが分かるはずなのです。他の帝国がそこまではできなかったことを、アメリカはできるのです。アメリカ人は豊かです。そ う、アメリカ人の全員がというわけではありません。アメリカ人の一部がそうなのですよね?しかし、我々は正直でなければなりません。
人々がアルコール中毒者更生会に入会するのは、立ち上がって、自分自身について素直になるためではありませんか?帝国主義者更生会という名前の組織 を立ち上げる必要があるかも知れません。この国の指導者達が、その会の全国網テレビ放送にでて言うのです。「そう、皆さんに本当の事をお話しする時期です ね。」そうなれば、私はそうなるとは期待していませんが、そうなれば爽快でしょう。
そして、もし我々がこの歴史を知っていれば、人々が他の人々に対してひどいことをするようにどうヒステリーを作り上げるのか、恐れさせられたがゆえ に、人々に自分たち自身の利害と反対の行動をさせるための方法として、恐怖がどれだけ頻繁に利用されたのかを理解できるでしょう。南部における大半のリン チの動機になったのは恐怖とヒステリーだったのではありませんか?黒人への恐怖、黒人に対するヒステリーが、白人に我が国の歴史の中行われたことの中でも 最も残虐なことをさせたのではありませんか?現代でもそうではありませんか?恐怖が、イスラム教徒に対する恐怖、単にテロリストに対してだけでなく、一般 的に?もちろんテロリストへの恐怖、特にイスラム教徒に対する恐怖もありますね。アメリカ国民に繰り返して吹き込んだ非常に醜い感情で、一種のヒステリー を創り出し、それが、政府が国民を支配し、彼らが次々と起こす戦争に我々を送りこめるようにし、脅かして、また次の戦争にというわけです。

もし我々が多少の歴史を知っていれば、冷戦に伴ったヒステリー、共産主義に対するヒステリーのことを理解できるでしょう。共産主義が存在しなかった わけではないのです、テロリズムが存在しているのと同様に。共産主義が問題なのではありません。共産主義は存在しました。そしてソ連がありました。ソ連は 自国民に対して圧政的で、東ヨーロッパを支配していました。けれどもソ連の脅威にたいする極端な誇張があり、それ昂じて、いや彼らは東ヨーロッパにいると いうだけではないのだ。彼らは西ヨーロッパを侵略しようとしているのだ、となったのです。
ついでながら、その証拠は何もありません。近年、ソ連専門家だったCIAアナリスト達が人前に現れて、ソ連が西ヨーロッパを侵略するつもりだという 証拠は何も無かったと言っています。しかしそれに対抗してNATOが組織されました。それに対抗してアメリカ合衆国は膨大な核の兵器庫を築き上げたので す。
ソ連はいつもアメリカ合衆国より遅れていました。政府はソ連を脅威だといって持ち上げましたが、結局の所、誰が最初に原子爆弾を手に入れたのでしょ う?誰よりも原子爆弾を沢山もっているのは誰でしょう?日本の二つの都会に暮らす普通の人々の上に原子爆弾を実際に落とした唯一の国はどこでしたか?です から、だれが原子爆弾を使うのでしょう。原子爆弾を溜め込んでいるアメリカが、死にものぐるいで追いつこうとしている国々に対するヒステリーを創り出した のです。もちろんイランは決して追いつきません。北朝鮮も決して追いつきません。ソ連は追いつこうとしました。けれども、この妖怪のような脅威を創り出す ことによって何兆ドルものこの国の富を軍事予算に費やしたのです。
共産主義に対するヒステリーは高まるあまり、生徒が机の下に隠れたりすることだけを言っているのではありません。なぜならソ連は原子爆弾を投下しよ うとしていたのですから。ソ連が原子爆弾を投下しようとしていたという証拠は何もなかったのです。ついでながら、統合参謀本部が、アメリカ政府首脳部の連 中が、実に様々な時に、予防戦争を、ソ連に核兵器を投下することを提案したという証拠があります。しかし、アメリカは、非常に不気味で、どこにでもあるよ うな脅威を創り出したので、子供達は、そう、机の下に隠れたのです。そしてまた、世界のどこであれ、アメリカ合衆国の気に入らないことが起きると、それが 世界共産主義者の脅威の一部になりました。

それで、共産主義と対処する為なら、ラテン・アメリカのどこの国でも、我々の好きな国に押し入れたのです。共産主義者の脅威があったがゆえに、アメ リカは陸軍をベトナムに派遣し、結果として数百万人の人々が亡くなったのです。ベトナムが世界における共産主義者の脅威の象徴になっていたためです。考え てみれば、既に共産主義の北と反共の南に分割されていたベトナムが、この小さな国の半分が共産主義者になるのを恐れることがどれだけ馬鹿らしいことか。す ぐ北では10億人の人々が共産主義になっていたのです。これはどうも奇怪です。
けれども、恐怖とヒステリーを創り出せば、奇怪な考え方がまかり通るようになるのです。そして今我々は、もちろん現在の状況は、テロリズムという厄 介なものに直面しているわけです。のべつ幕なしのジョージ・ブッシュや彼の閣僚の演説、ひっきりなしに連中が使う言葉「テロリズム」と「テロ」を考えてく ださい。あれはアメリカ国民を脅かすために彼らが創り出した呪文です。
その効き目も薄れてきたと私は思います。多少の理解が始まったように思います。それが、世論が戦争反対になったという事実の背景です。国民はもはや アメリカがテロリズムを打ち負かすためにイラクで戦っているとは信じていません。なぜなら証拠がそれほど圧倒的に出てきて、大手マスコミでさえ報道するよ うになっているからです。国家情報評価がそうです。政府自身の諜報機関がイラクでの戦争がテロリスト集団を成長させる原因になって、中東のイスラム教徒集 団の好戦性と急進主義を増していると言っているのです。
しかし、国民に、自分たちの利害に反することをさせるための、自分たちの若い子供達を戦争に送り出す羽目になるようなことをさせるための、戦争とい う目的の為に、国家の富の枯渇を引き起こし、大金持ちをさらに富ませるためのことをさせるための企みとして、テロリズムが共産主義に置き換わったのです。 テロリズムについて、誰かがテロリズムに対する戦争の話をするとき、連中が用語の上で矛盾していることを悟るのはさほど難しいことではありません。もしも 戦争そのものがテロリズムだったら、どうやってテロリズムに対する戦争を起こすことができるでしょう?なぜなら、テロリズムにテロリズムで対応しているの で、世界のテロリズムを増やすだけだからです。
そして、もちろん、政府が戦争をすることで行えるテロリズムは、アルカイダやらあれこれもろもろの集団のテロリズムより、遙かに遙かに大きな規模な のです。政府はとてつもなく大規模なテロリストなのです。アメリカ合衆国は、アフガニスタンに対して、イラクに対して、ずっとテロリズムを行っており、今 や彼らはそのテロリズムを中東の他地域にも広げると脅しているのです。

そして、恐怖とヒステリー利用の歴史や、冷戦と反共ヒステリーの歴史は、今我々が経験していることに対して人々に注意を喚起するのに非常に役立ちま す。つまり、イランの場合、例えば、けしからぬことですが、マスコミはイラン核兵器でひどい役割を果たしています。彼らは核兵器を欲している。彼らは核兵 器を持っているとは言っていません。彼らは核兵器を欲している。私もそうです。核兵器をほしがるのは簡単です。膨大な軍事力をもった国に向かい合ってい て、そうした膨大な軍事力をもった国の軍事力にはとうで対抗できそうもないような小国は、アメリカ合衆国がとった戦略の真似をしているのです。アメリカ合 衆国は言いました。「我々は抑止力を持たねばならない。」「なぜアメリカは10,000基もの核兵器を持っているのだろう?」と尋ねた場合、一体何回これ を聞きましたか。「我々は抑止力を持たねばならない」そう、彼らも抑止力が欲しいのです。核兵器一基をですね。
イラクはそういう状況にありませんでした。ご存じでしょう。コンドリーサ・ライスの発言を。「キノコ雲」我々は広島と長崎の上にキノコ雲を創り出し た唯一の国なのです。イラクはキノコ雲を創り出せる立場にありませんでした。中東と核兵器のあらゆる専門家が言っていました。イラクが核兵器を開発するに は5から10年かかる。それなのにアメリカは核兵器に対するヒステリーを創り出していたのです。
今アメリカは同じ事をイランにしているのです。そして国連の国際原子力機関はイランの核兵器の危険性について語っている議会報告と真っ向から矛盾し ています。もう何度も何度もイランで査察した国際機関は言っています。彼らはアメリカ国民に、ある種中途半端な教育をしてくれています。つまり政府は言っ ています。政府は「連中はウランを濃縮している。」という言い回しを使います。これは気味が悪いですね。「彼らはウランを濃縮しているのだ」と。本当のと ころそれがどういう意味か私は知りませんが、ぞっとします。国際原子力機関の報告を読むと、たしかに、彼らはやっているのです。彼らはウランを3.5%ま で濃縮したのです。核兵器を一つ作る為には、彼らはそれを90%まで濃縮しなければならないのです。彼らは一発の核兵器を開発するところかさえ、遙かに遙 かに遠いところにいるのですが、「濃縮ウラン」という言葉が、何度も何度も繰り返されるのです。

ですから、そう、我々は多少の歴史的な知識が必要なのです。イラクを思い出してみてください、ベトナムをめぐるヒステリーを思い出してください。 「わー、共産主義者が南ベトナムを占領するかもしれない!」それからどうなるのでしょう?サンフランシスコまでわずかあと一歩。とんでもない。レーガンが ニカラグアのコントラを支持していた時、彼が言っていたのを覚えておられる方もいるでしょう。「ニカラグアがどこにあるかご存じでしょう?連中がテキサス にやってくるまでにさほどはかかりません。」私はそれはおかしいと思いました。私は考えたのです。一体なぜニカラグア人がテキサスに来たいと思うだろう? これは別にテキサスを中傷しているわけではありませんが、仮に連中がテキサスに来たとして、それから何をするのでしょう?ユナイテッド・エアラインのワシ ントン便に乗るのでしょうか。彼らは何をするのでしょう?けれども、起きているものごとに対する自覚を、ヒステリーがどれほど完ぺきに損なってしまうかを 理解するには、こうした歴史の一部を知ることが本当に極めて重要なのです。
少し違うお話をしたいと思います。残り時間がどれほどか心配になってきました。どれだけ長くお話したのでしょう。まあ本音は、どれだけお話したのか 心配などしていません。気にしていません。時計を見ては時間を気にしているふりをしているだけでして。何時に話を始めたのか覚えていないので、どれだけの 時間お話したのかわかりませんが。
ともかく、どこかの時点でイラクにおける戦争は終わります。どこかの時点でアメリカ合衆国はベトナムでしたことを、イラクでもするのです。「我々は 決して去らない。我々は決して去りはしない。我々は勝利する。我々は最後まで頑張る。我々は急いで逃げたりはしない。」といっておいた後で。ある時点で、 アメリカ合衆国はイラクから大急ぎで逃げ出すしかなくなるのです。連中がそうすることになるのは、この国の中で反対する感情が益々、益々強くなってゆくか らです。そして益々多くの兵士がイラクから帰国して「二度と戻らないぞ」と言うからです。彼らが、イラクへの軍隊補給を益々難しくするからです。若者の両 親達がますます「私たちの若者をベクテルやハリバートンの為の戦争に送ることを許すつもりはない。そんなことをするつもりはない。」と発言するようになる からです。ある時点で、そう、ある時点で、政府が今してはならないと言っていることを私たちはすることになります。つまり大急ぎで逃げ出すのです。

大急ぎで逃げ出す必要はありません。歩き去る。泳ぎ去る。とにかく、出来る限り早く去ることです。あそこでアメリカは何もいいことをしているわけで はないのですから。アメリカは状況を良くする助けをしてはいません。アメリカは平和をもたらしてはいません。アメリカはデモクラシーをもたらしてはいませ ん。アメリカは安定をもたらしてはいません。アメリカがもたらしているのは、暴力と混沌です。アメリカはそうしたこと全てを引き起こし、人々が日々亡く なっています。民主党の指導者が「さあ、2000年5月14日なり何年何月何日なりまでには撤退すべきだと思う」という時。よろしいですか。その日まで、 毎日より多くの人々が死に、より多くの人々が手足を失い、目が見えなくなるのです。ですからそれは耐え難いことです。そこで、我々は出来る限りのことをし なければなりません。
ベトナムの場合には、ある時点で政府が戦争を続けられないことに気がついたのです。GIがベトナムから帰国して戦争に反対しました。政府は彼らを予 備役将校訓練団に参加させることはできませんでした。余りに多くの人々がカナダに逃げました。余りに多くの人々が徴兵書類に署名をしようとしなかったので す。最後は、徴兵制を廃止しなければならなくなったのです。政府は国民の支持を失いつつあったのです。政府は軍の支持を失いつつあったのです。ある時点 で。
これに似た何かがおきるでしょう。私たちが、それがなるべく早く起きるようにできれば、もちろんその方がいいのです。我々が多くの高校に行けば行く ほど、これは極めて実務的なことですが、ごく実務的なことで、誰でも出来ることですが、それは地方の高校に行って、両親達全員に、高校の全生徒に自分たち の情報を軍徴兵官に渡す必要は無いことをしっかり理解してもらうことです。お分かりですね。益々多くの人々のチームが軍徴兵官のプロパガンダに反論するよ うになるのです。
連中が苦労していることを知っています。連中は軍の新兵補充で自暴自棄になりつつあります。出来る限りのことをやっています。もちろん、連中は力を 集中しています。連中は軍徴兵官を最も貧しい高校に派遣しているのです。なぜなら労働者階級の子供達こそが最も勧誘に弱いことを、一番生活に困っていて、 教育が必要で、技術が必要で等々ということを知っているからです。それで連中は労働者階級を餌食にしようとしているのです。ユージン・デブスは言っていま す。ユージン・デブスを引用させていただければ、ただユージン・デブスは第一次世界大戦の時の演説で発言して、それで彼は監獄に送られたのですが。「常に 支配階級が戦争を始めてきた。常に労働階級が戦争を戦ってきた」そしてもちろん、それは常に真実です。そこで我々はどこかの時点でイラクを脱出するので す。

一つご提案したいのです。私たちはイラクよりも先のことを、いやイランよりも先のことを考えなければなりません。この戦争やら、あの戦争やら、その 次の戦争やらに反対して苦労したいとは思いません。無限に連続した反戦運動をしたくはないのです。疲れることですから。それで戦争そのものの廃絶につい て、考え、話し、教育する必要があるわけです。
先日私は、理髪師と話をしていました。私たちはいつも世界政治の話をしているのです。彼が政治的には実に気まぐれなのです。大半の理髪師同様に。彼 は言いました。彼はこう言ったのです。「ハワードさん、ねえ、あなたと私は多くの点で意見が合いませんが、一つだけ一致することがありますね。戦争は何も 解決しない。」私は思いました。「そうだ」人々がそれを理解するのは困難なことではありません。
そこでもまた、歴史が役に立ちます。我々には、戦争の、その次の戦争の、そのまた次の戦争の歴史があります。それで何が解決できたでしょう?戦争が 何を果たしたでしょう?第二次世界大戦、「良い戦争」、私が志願した戦争で、私が爆弾を落とした戦争でさえ。戦争の後で私は手紙を貰いました。将軍の将軍 であるマーシャル将軍から、私個人にあてられ、他の1600万人の兵士にあてられた手紙を、そこで彼は書いていました。「我々は」戦争に勝った。新しい世 界になるだろう。」さて、もちろん、新しい世界になどなりませんでした。新しい世界にはならなかったのです。戦争のその次の戦争のそのまた次の戦争です。
ある種の考え方があります。あの戦争が終わったときに、私が志願した戦争、私が熱心な爆撃手だった戦争、あの戦争で、ある考えが、戦争末期に次第 に、戦争についての考え方が育ちました。つまり、戦争はそれに関与する全員を腐敗させる、というものです。戦争はそれに関与する全員を汚染するのです。 我々も始めは善玉なのです。第二次世界大戦の時のように。相手は悪玉です。彼らはファシストでした。それ以上悪いものがあるでしょうか?それで、相手は悪 玉で、我々は善玉なのです。戦争が進むにつれ、善玉が悪玉のように振る舞い始めます。この現象はペロポネソス戦争にまでさかのぼることができます。善玉の アテナ人、悪玉のスパルタ人にさかのぼれます。そしてしばらくすると、アテナ人がスパルタ人のように冷酷で凶暴になるのです。

そして我々も第二次世界大戦でそうなりました。ヒットラーが残虐行為をした後、我々は自分たちで残虐行為をしました。ご存じのように、我々は日本で 600,000人の民間人を殺害しました。我々はドイツでも恐らく同数の民間人を殺害したでしょう。これらの人々はヒットラーではありませんでした。彼ら は東条ではありませんでした。そうではなかったのです。ごく普通の人々です。略奪する国家にすんでいる私たちのような一般の人間で、彼らは略奪する国に住 んでいたのです。それがなんであれ、取り込まれてしまっていて、恐ろしくて自由に発言できなかったのです。それでともかく私は結論に至ったのです。そう、 戦争は皆を汚染するのです。
戦争は、これは記憶すべき大切なことです。我々が独裁者に対する戦争をする時には。アメリカの主張の一つはこうでした。「我々はサダム・フセインを 追い出しに行く」それはもちろん、たわごとでした。政府は気になどしていません。わが政府はサダム・フセインがイラク国民に暴政を行っていることを気にか けたでしょうか?アメリカは彼がイラク国民に暴政を行うのを手伝ったのです。アメリカは彼がクルド人に毒ガスを使うのを助けたのです。アメリカは、彼が大 量破壊兵器を蓄積するのを手伝ったのです、本当に。
我々が戦争で殺害する犠牲者は、圧制者の犠牲者なのです。私たちがドイツで殺した人々はヒットラーの犠牲者でした。私たちが日本で殺したのは日本帝 国陸軍の犠牲者でした。そして戦争で亡くなる人々は、益々軍人ではない人々になっています。戦争における民間人対軍人の死亡率の比率変化をご存じでしょう か。第一次世界大戦では、軍人10人の死亡に対して、民間人1人の死亡でした。第二次世界大戦では、50-50で、半数が軍人で、半数が民間人でした。ベ トナムでは、70%が民間人で30%が軍人でした。それ以降の戦争では、それはおよそ80%から85%が民間人です。
数年前、私はイタリア人でジーノ・ストラーダという名の軍医と知り合いになりました。彼は10年から15年、世界中で戦争犠牲者を手術してきたので す。彼はそれについての本を書きました。グリーン・パロッツ(緑のオウム):軍医の日記です。イラクやアフガニスタンや至る所で彼が手術をしたあらゆる患 者の中で、そのうち85%は民間人で、三分の一が子供だと彼は書いています。もしもあなたが理解すれば、そして、もしも国民が理解すれば、もしもこういう 認識についての話をみなさんが広げれば、戦争について政府が皆さんに何と語ろうと、脅威が何であれ、目標がデモクラシーやら自由やらのなんであれ、なぜア メリカは戦争をしなければならないのかと連中が言うとき。それはいつでも子供達に対する戦争なのです。膨大な人数で亡くなるのは子供達なのです。

ですから、戦争は、そう、アインシュタインが第一次世界大戦の後でこう言っています。「戦争を人間化することは不可能だ。廃絶することだけが可能 だ。」戦争は廃絶されるべきです。そしてそれは大胆な計画だというのは分かっています。それは分かっていますが、私たちはそうすべきなのです。たとえ大胆 な計画でも、それは実現されるべきなのです。皆さんはその行動を始めなければなりません。1830年代のこの国の奴隷制度の終焉も、実に大胆な計画でし た。それでも皆が頑張ったので、30年かかりましたが、奴隷制度は廃止されました。私たちは同じようなことを何度も実現できるのです。ですから我々には沢 山の仕事があります。我々にはやるべきことが山ほどあるのです。
歴史から我々が学べることの一つは、歴史というのは、首脳陣が我々に対して押しつけられるものことの歴史だけではありません。歴史はまたレジスタン スの歴史でもあります。何十年も圧政に耐えたが最終的には立ち上がって独裁者を打倒した人民の歴史です。これを私たちは様々な国々で起きるのを目にしてい ます、意外なことの連続です。完全に支配していたように見えた支配者が、ある日彼らが目覚めると突然、市街には何百万人もの人々がいて、支配者は荷造りを して、去るのです。これがフィリピンで、イエメンで、いたるところで、ネパールでも起きました。市街に何百万人もの人々がいて、支配者は立ち去らざるを得 なかったのです。そうです、これが私たちがこの国で目指していることなのです。
我々がすること全てが大切です。私たちがする、あらゆるささやかなこと、私たちが張るあらゆるピケライン、我々が書くあらゆる手紙、我々が参加する あらゆる市民的不服従の行動、誰か兵士採用担当者に私たちが話しかけること、誰か両親に私たちが話しかけること、誰か兵士に私たちが話しかけること、あら ゆる若者に私たちが話しかけること、教室の中で我々がするあらゆること、教室の外ですること、違う世界になるように我々がすること全てが大切なのです。た とえその時点では無駄なように思えても。そういう方法によって変化がおきるからです。何百万人もの人がささやかなことをすると変化が起きるのです。歴史の ある時点で、こうしたことが一つにまとまり、そして何か良いこと、何か重要なことが起きるのです。
ご静聴有り難う。

記事原文のurl:www.democracynow.org/article.pl?sid=06/11/24/1442258

元記事マスコミに載らない海外記事














2014-02-06

パゾリーニ。1975年に謎の死を遂げた。
「奇跡の丘」はおそろしく、かつ美しいキリストの物語。
詩を読んでいるかのような映像だった。

パゾリーニの生前の映像。
消費社会を批判し「真のファシズムとはこの消費社会である。」
とは、今まさに起っていること。

ファシズムとは、上からおしつけられるものでははく、
みんながそれが正しいと信じ込むことなのだ。

 


2014-01-14



系統樹って今や木の形をしていないんですね。
人間中心主義から脱却した系統樹になりつつあるんですって。
で、私達の動物界に比べたら、細菌類ってとてつもなく多い。




現在地球上には500万種~1億種 
(よく使われる推定値は約3000万種)
の生物がいると考えられていて、 
のうち人間によって命名されている既知の生物は約175万種。 
仮に現在の生物を約3000万種として、
人間によって命名されていない残りの約2825万種の生物は
全てUMA(Unidentified Mysterious Animal、未確認動物)ではありません。
ほとんどは目に見えない微生物と考えられています。




生物多様性の保護とか環境保護というのは、
生物全体から見ればごくわずかにすぎない
寄生生物-多細胞生物ーを中心にした、
身勝手で偏った議論であるというこ とになります。 
そして人間にとって直接的に益になるか害になるかという目先の利益だけで、
生物を「益獣/害獣」とか「益虫/害虫」などと呼んでエコ贔屓したり、
人間の利 益を「地球に優しい」とか「地球温暖化」などと言って
生物全体の利益にすり替えるのは、
人間中心の身勝手で傲慢な考えです。






『マ イヤーは地球の生物史をたどると、
「愚かであるよりは利口なほうがいい」とされる主張は、
少なくとも生物学的な成功の観点からは誤りとされる、と書いた。 
我々は今、人類の歴史の中で、愚かであるよりは利口なほうがいいのか、
との問いに答が出るかもしれない時期にさしかかっている。
最も望ましいのは、答が出 ないことだ。
だが明確な答が出るとすれば、こういう答にしかなりえない。
即ち、人類は一種の「生物学的な誤り」であって、
割り当てられた10万年を費やし て自滅に向かい、
その過程で多くの生物をも巻き添えにしてきたのだ。』

ノーム・チョムスキー 
「覇権か、生存か」








 

チョムスキー・ジン 市民的不服従の勧め


アメリカ独立戦争が始まったレキシントンの戦いを記念して、マサチューセッツ州では4
­月16日が「愛国記念日」という祝日です。この日、ボストンに住む反戦運動の大御所ノ­ーム・チョムスキーとハワード・ジンが、ふたりそろってインタビューに応じるという豪­華な企画が実現しました。2回目の放送では、大学における言論弾圧の問題から発展して­、国家が誤っているときには、その命令に従わない権利があるという「市民的不服従」の­考え方をいま一度、心にたたむべきだとハワード・ジンが強く勧めます。
この考えを提唱した19世紀の思想家ヘンリー・デーヴイッド・ソローは、米墨戦争に反­対して納税拒否による抵抗を貫き、投獄も辞さなかった人物です。

全部を見るにはこちらのサイトへ → http://democracynow.jp/submov/070417-2




https://www.youtube.com/watch?v=Ha2Lu-r5Kf4